東京高等裁判所 昭和35年(行ナ)90号 判決 1970年11月27日
原告 中沢英太郎
被告 特許庁長官
主文
特許庁が昭和三五年七月三〇日、同庁昭和三〇年抗告審判第一二七号事件についてした審決は、取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一双方の求めた裁判
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告の請求は、棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二請求の原因等
原告訴訟代理人は、請求の原因等として、つぎのとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和二八年一〇月三一日、特許庁に「広告装置」という名称の発明(以下「本願発明」という。)について特許の出願をしたが(昭和二八年特許願第一九九二四号)、昭和二九年一二月八日拒絶査定を受けたので、これに対し、昭和三〇年一月一四日、抗告審判の請求をしたところ、同庁昭和三〇年抗告審判第一二七号事件として審理のうえ、昭和三五年七月三〇日、右抗告審判の請求は成り立たない旨の審決(以下「本件審決」という。)があり、その謄本は、同年八月三日、原告に送達された。
二 本願発明の要旨
本願発明の要旨は、
「送風機に送風管を連結しこれに「ゴム」製、「ビニール」製、「ゴム」引布製その他強靱布製の支柱袋を設着し送風管に「ダンパー」及邪魔板等又はそれらの一つを装設し且支柱袋に網等の広告用図文取附体を吊着する事を特徴とする広告装置」というものである。
三 本件審決の理由の要点
本件審決は、本願発明の要旨を前項記載のとおりと認定したうえ、「原査定の拒絶理由に引用された刊行物特許第八七七五三号明細書には「航空機より曳き流す表示体」についての説明があり、そのうちの第12図及びそれに関する説明によれば「横棹の両端に環を取り付け、これに布よりなる筒状体を接続し、これを文字を描いた帯状片の両側縁に沿つて延展させ、これを飛行機によつて曳行する広告装置」がこの刊行物中に容易に実施できる程度に記載されているものと認められる。そこで両者を比較して見るのに、「支柱袋に広告帯を取付け、支柱袋に押し込まれた空気によつて支柱袋を棒状にし、広告帯を平坦にするようにした広告装置」である点で両者は一致し、両者の異る主な点は、(1)本願のものが送風機、送風管、ダムパー等を設けて強制送風を行うことにより支柱袋を棒状にするのに対して、引用例のものは航空機に曳行されるために支柱袋に相当するものが空気に衝突して棒状に保持される点、(2)支柱袋の材質が異る点、の二点である。よつてこの二点について審理するに、まず(1)の点であるが、空気の圧力によつて支柱袋の如きものを棒状に保持する場合、要は空気と支柱袋との間に相対的運動があれば良いのであつて、本件の場合その相対的運動を得る手段として本願と引用例とは空気が強制的に運動させられているか或は支柱袋の方が強制的に運動させられているかの違いはあるが、両者の間に相対的運動があることにおいて一致していて、その手段が単に逆であるに過ぎないので、本願が特に送風機によつて強制送風を行つた点に発明の存在は認められなく、また強制送風を行う場合送風管或はダムパーを設けることは例示するまでもなく慣用されていることであるから、全体として(1)の相違点に発明の存在は認められない。次に(2)の点であるが、本願が特に材質を選定した点に格別の作用効果はなく、要は強度を充分にすれば足りるものと認められるので、この点に発明の存在は認められない。なお原審に差し出した意見書及び請求書で本願と引例との相異殊に作用効果上の相違について色々と述べているが、前記の如く、両者の相異点に発明の存在が認められない以上、その主張は採用できない。結局本願は引用例が公知である以上、格別発明力を要しないで考えられるものと認められるので、本願は旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第一条の特許要件を具備したものと認めることができない。」という理由で、原告の請求を排斥している。
四 本件審決を取り消すべき理由
本件審決は、本願発明が特許第八七七五三号明細書(以下「引例」という。)に記載されたところから、格別発明力を要しないで考えられるとしているが、それは、つぎのとおり、判断を誤つた違法のものであるから、取り消されるべきである。
(一) 送風機および送風管による支柱袋の支持と引例の筒状体rとの差異について。
引例における筒状体rは、いわば航空機による吹き流し筒であり、筒の内外の空圧は同一であるか、そこに圧差があるとしてもきわめてわずかで、その圧差は航空機による曳引の結果生ずる不規則なものであり、これによつて吹き流し筒が張持されるというものではないのに対し、本願発明においては、支柱袋内の空圧は、送風機と送風管とによる送風によつて、人為的に高められるものであり、それは外部の大気圧よりはるかに高く、これにより支柱袋が張り出されてそれを確保継続するもので、風速や気圧などに応じ、規則的に任意に管掌しうるものであるから、引例のものとは技術的手段を根本的に異にしている。すなわち、引例の筒状体は、単に空気がそのまま通過するにすぎないものであるのに対し、本願発明においては、支柱袋の安全性を保持するための空気排出孔14はあるが、支柱袋は、圧搾空気の抱有により外界の空圧および図文16を取り付けた網15の重量等の総和に打ち勝つて張持しているものであり、その張持力を機械的に加減することにより容易に調整可能のものであつて、引例の筒状体には、このような技術思想はまつたく存在せず、むしろ、そこに空気圧をはらんだならば、曳引に強い抵抗力をひき起し、航空機の飛行の危険または筒状体の破壊等を招来するため、可及的に抵抗を少なくして吹き流されるようにするもので、技術思想としては正反対のものである。以上の差異だけをみても、本願発明は、引例の記載から容易に推考しうるものとはいえないのである。
(二) ダンパーおよび邪魔板について。
通風をダンパーまたは邪魔板により調整する装置が、本件の特許出願前より周知の技術手段であることは争わないが、ダンパーまたは邪魔板により圧搾空気の圧力を減殺すること、および、これにより支柱袋の脱落を防止することは、まつたく新らしい技術手段である。ダンパーを圧搾空気の送風に関して使用するということは、圧搾に要したエネルギーをダンパーにより失わせるという背理に属するため、技術手段として採用されていないが、本願発明では、とくに、あえてこれを用いることにより、後記のような作用効果を得るようにしたものである。そして、本願発明では、一つの送風管に多数の支柱袋を取り付ける関係上、送風管の始端における支柱袋と末端における支柱袋とはその受ける圧力を異にし、後者を張持することを標準とすれば前者の受ける空圧は強大に失することがあるから、ダンパーまたは邪魔板等により適宜調節することによつて右の欠点を解消したものであり、また、これによつて、支柱袋と送風管との接続装置の均一化等も採用できるようにしたものであつて、この技術思想は、本願発明の一部として、前記支柱袋と結合して、本願発明に飛躍的、相乗的効果を附与し、本願発明全体を有意義に達成させる重大な役割を果しているものである。なお、被告は、右作用効果について本願発明の明細書中に記載がないというが、右作用効果は、右明細書に、「本願発明に於ては高層建築物の屋上のみでなく各階の各窓に取り付け得る」、「ダンパー6に依り送風力及送風量を適宜調節し」等として記載されており、原告の右主張は明細書の記載について補足的に説明したにすぎないものである。しかるに、本件審決は、ダンパーおよび邪魔板の機構が右のようないちじるしい作用効果を有することを看過し、これを単なる慣用手段としたものであつて、この点においても、その判断は誤つている。
(三) 本願発明と引例のものとの作用効果の差異について。
引例の筒状体による広告装置は、必要以上に強大な空圧を受けることもあるため、これには堅牢な索綱を用いなければならず、また、強風等に際し、あるいは離着陸のときなど、航空機の飛行に重大な危険を及ぼすおそれがあり、しかも、常に移動して一定位置に止まることがないばかりでなく、これを利用するには必ず航空士を必要とし、さらに、一時に曳行できる筒状体の数もごく少数にすぎないのである。これに対し、本願発明によれば、右のような危険や、アドバルーンにおける水素の使用による爆発等の危険もなく、設備費や経常費をいちじるしく節減できるだけでなく、本願発明のものは、単に機械取扱の能力を有する者ならば操作でき、必要とする多数の支柱袋を一定位置に張持することが可能である。このような作用効果上の差異を看過して、本願発明が引例から容易に推考できるとした本件審決は、判断を誤つたものである。
第三請求の原因に対する被告の答弁
被告指定代理人は、請求の原因に対する答弁として、つぎのとおり述べた。
一 原告主張の請求原因一ないし三の事実は、認める。
二 本件審決が違法であるから取り消されるべきであるとする同四の主張は、争う。
(一) 同四の(一)の主張について。
引例の筒状体rにおいても、その内部を流れる空気は、摩擦、衝突等により筒の外部の空圧に比し圧力が増大しており、これがため、筒状体は筒状態を保持するものであつて、この点において、本願発明のものと同一である。なお、圧力の人為的調節は、航空機の風洞実験として慣用されている手段をみても明らかなように、筒状体を固定して空気を送入するようにすれば当然できることであるから、この点に発明は認められない。
(二) 同四の(二)の主張について。
本願発明の要旨には、多数の支柱袋を要件としていないから、本願発明の場合には、ダンパー等を設けることがいかなる意味を持つかは必ずしも明らかでないが、かりにこれが必要だとしても、それは単なる風量調節のためのもので、慣用されている技術手段というべきである。また、原告の主張する始端と末端の圧力調節および接続装置の均一化についていえば、本願発明の明細書にはそのようなことに関する具体的説明が何ら記載されておらず、特許請求の範囲にも原告主張のような多段の広告装置であるという限定はないのであるから、右主張は失当である。なお、原告のいう「圧搾空気」については、明細書中にそのような記載はなく、明細書によれば、送風機による通常の吐出空気とみられるところ、送風機による通風の制御調節にダンパーが用いられていることは技術上常識であることは明らかであるから、この点でも、原告の右主張は、理由がない。
(三) 同四の(三)の主張について。
本願発明と引例のものとの利害得失は、いずれも一長一短であり、本願発明の利点として原告の主張するところは、航空機による曳引における空気と筒状体との相対関係を逆にした場合に起る当然の帰結にすぎず、その反面、航空機による曳引の場合に当然得られていた広域にわたる広告等の利点が失われるのであり、この関係は本願発明とアドバルーンとの対比についても同様であつて、この点から本願発明が引例に比し格別すぐれた作用効果を有し、その間に発明が存在するとすることはできない。
第四証拠関係<省略>
理由
(争いのない事実)
一 原告主張の請求原因等一ないし三の事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨および本件審決の理由の要点)は、本件当事者間に争いがない。
(本件審決を取り消すべき理由の有無について)
二 本件審決は、原告主張の点において判断を誤つたものであるから、違法として取り消されるべきものである。すなわち、
(一) 前記争いのない本願発明の要旨ならびに成立に争いのない甲第一号証(本願発明の願書および明細書)、とくに、その「発明の詳細なる説明」の項中の「その目的は高層建築物及一般建築物の屋上又は窓等から「アドバルーン」に比較し極めて低廉な設備費並に経常費を以て「アドバルーン」にすると同様の広告を行い得る所に存し」との記載、および「従来高層建築物に掲揚する「アドバルーン」は設備費が高く又その中に注入する浮上用ガスに高額の費用を要し且取扱上危険が伴つたが本発明においては……設備が低額で足りて危険を伴わず……「アドバルーン」と同様の広告を行い得る」との記載によれば、本願発明は、高層建築物または一般建築物の屋上または窓等に設置し一般通行者その他から容易に看取できるようにすべき広告装置に関するもので、従来からあつた「アドバルーン」等のこの種広告装置において、設備費や経常費が高額に上り、危険が伴つたのに対し、これを低廉、安全にして同様の効果を上げることを目的とし、このため、
1 送風機に送風管を連結し、これに「ゴム」製、「ビニール」製または「ゴム」引布製その他の強靱布製の支柱袋を設着する。
2 送風管に「ダンパー」または邪魔板等を装設する。
3 支柱袋に網等の広告用図文取付体を吊着する。
という構成をとつたものであり、右構成により、送風機から送風管を経て、「ダンパー」または邪魔板により調節された空気が、支柱袋に入つてその内部の空圧を高め、その外部の大気圧および図文を取り付けた網の重量の総和に打ち勝つて支柱袋を張持することによつて、前記の目的を達成するような作用効果を有するものであることが認められる。
(二) これに対し、成立に争いのない甲第三号証(特許第八七七五三号の明細書)とくに、その第一二図ならびに「発明ノ詳細ナル説明」の項中の「猶ホ他ノ目的ハ気流ノ作用ニ依リ表示用帯状片ヲ剛直ニ保持セシメントスルニ在リ」との記載および「(帯状片a)ノ飛揚中之ヲ剛直ニ保持スル為メ横桿(b)ノ両端ニ環(s)(s)ヲ取リ付ケ之ニ布ヨリ成ル筒状体(r)(r)ヲ接続シ之ヲ帯状片ノ両側縁ニ沿ヒテ延展セシム」との記載によれば、引例は、航空機より曳き流す広告用または信号用の装置に関するもので、横桿の両端に環を取り付け、これに布製の筒状体を接続し、これを文字を描いた帯状片の両側縁に沿つて延展させるという構成をとり、これによつて、航空機の飛行中に文字等を記載した帯状片を剛直に保持することを目的としており、右構成により、筒状体は、飛行機によつて曳行されるとき、筒状体の内部を流れる空気が筒状体内壁等との摩擦や衝突等によりその速度が落ち、したがつて、筒状体外部の空気圧に比してその内部の空気圧は高められ、その圧差によつて布製の筒状体は外方に張持され筒状体が棒状に保持され、これに接続された帯状片が剛直に保持されることとなつて、前記の目的を達成するものであることが認められる。(原告は、引例の筒状体が棒状に張持されるのは、その内外の空気圧の差によるものではない旨主張するが、その採用できないことは、右に説示したところから明らかである。)
(三) そこで、本願発明と引例のものとを比較すると、両者はいずれも広告装置に関するものであり、その構成においても「支柱袋(筒状体)に広告帯(帯状片)を取り付け、支柱袋(筒状体)の内部に送入された空気の圧力により支柱袋(筒状体)を保形させ、広告帯(帯状片)を一定の形状に保持するようにした」点では一致しているということができる。しかしながら、前記(一)および(二)において認定した事実によれば、本願発明は「アドバルーン」(あるいは看板)などのように一定の場所に設置すべき広告装置に関するものであるから、単に支柱袋自体を剛直(棒状等)にするばかりでなく、広告帯を取り付けた支柱袋を重力に抗して設置場所に一定の状態に維持されるようにする必要があることが明らかであるのに対し、引例のものは、航空機によつて曳き流す表示帯という一定の場所に定置しない態様の広告装置であつて、表示帯自体が曲折しないように筒状体を剛直(棒状等)にする必要はあつても、筒状体が取り付けられた表示帯は、特別の手段を講じないでも、元来、飛行機の曳行による空気の流れのため、その下方に空圧を受けて水平またはこれに近い状態に維持されるものであることはその構造自体から明らかであるから、本願発明におけるように、設置場所において重力に抗して表示帯および筒状体を維持するための構成を考える必要はまつたくないのである。したがつて両者は、いずれも広告装置に関するものではあつても、本願発明が一定の場所に設置されるべき広告装置として、前記のような設置場所に対する関係での一定状態の維持という要求の充足をも含めて前記(一)の1および3の構成をとつたのに対し、引例のものは、そのような必要を有しないため、単に筒状体および表示帯自体の形状維持のためにのみ前記(二)に認定した構成をとつているのであつて、両者は、前記のとおりその構成において一部一致するといいうる点はあつても、その解決すべき技術的課題を異にし、その技術的思想においていちじるしく相違するものというべきである。そして、本願発明における右(一)の1および3の構成が、引例における筒状体の曳き流しによる前記構造と異なるものであることはいうまでもないところであるから、これをまつたく技術的思想の異なる引例の右構造から格別発明力を要しないで推考できるとすることは到底肯認しえないところというべく、この点について、これと異なる判断をした本件審決は、ダンパーを設けたことの技術的意義等に関する原告主張のその他の事項について判断するまでもなく、右の点において判断を誤つた違法のものとして取り消されるべきものといわなければならない。
三 以上説示したとおりであつて、その主張の点において違法があることを理由として本件審決の取消を求める原告の本訴請求は理由があるから、これを認容し、訴訟費用は、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条により被告の負担として、主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅正雄 杉山克彦 楠賢二)